真言宗 大覚寺 派龍護山 満福寺
義経ゆかりの寺

義経ゆかりの寺

ここ満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく、一時宿所とし、兄への手紙を書いた寺である。
満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙は「腰越状」と呼ばれる。

満福寺には、「腰越状」の下書きをしたためたといわれる弁慶ゆかりの〝もの〟がたくさん残されています。 弁慶の腰掛石、弁慶の手玉石というものもあり、また「腰越状」を書く時に墨を摺る水を汲んだ硯の池、弁慶手沢の椀、錫杖等々……。
義経がここを宿としたというのは、腰越が源氏と関わり深い地であったことを示しています。 義経を主人公とする能「八島」の前シテが老いた漁師であるというのは、義経と漁民との関係を秘かに語っているのかも知れません。

寺紋は笹竜胆で、満福寺が源氏ゆかりの寺であるということを示しています。

硯の池

硯の池
弁慶は「腰越状」の下書きをする際、この池の水で墨をすったと伝えられています。

弁慶の腰掛石

弁慶の腰掛石

弁慶の手玉石

弁慶の手玉石

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義経の生涯を描いた襖絵

義経の生涯を描いた襖絵